しごとの備忘録

自分のための、愛か、ただの愛か

 

たしか金山かどっかのスタバだったと思うんだけど、窓際に腰掛けてまだエゴ剥き出しだったわたしが、いろいろな自分の抱えてるテーマやつまづいているところを、いつもどおり先生に吐き出したときの、彼女の言葉はいまも鮮明に覚えてる。

その頃はもうわたしは、結構いろいろな苦しさを乗り越えてきた頃で、自己愛よりも、いつもひとのために。と一生懸命自分を差し出そうと努力していたときで、相変わらず表現の部分でつまづいていたんだった。

文章を書いたり、絵をかいたり、写真をとったり、香りを作ったり。

なんでもいいんだけれどそのつまづきは根深くて、自分なりに答えを見出したかった。

「結局、自己愛どまりなんだよね」

 

私が話していたのは、そんなに自分よがりな感じの話ではなくて、自分的にはこう、高い次元の話をしているつもりだった。

自分が苦し紛れに感情を吐き出すときに、厳しい言葉をかけられることもある。

真面目に諭されて、怒られることもある。

 

 

でもその時は違った。

先生は、冗談めかして笑うでもなく、何かを理解させようと諭すような態度でもなく、

ただそう言った。

 

それはとてもニュートラルな物言いで、わたしは頭をかち割られたような気がしたんだった。

 

 

 

 

小さい頃、わたしは「思いやり」「優しくする」という概念を理解するのに苦しんだ。

 

 

誰かに優しくしたら、「自分」が、いい人だと思われる。

「自分」がいい気分になれる。

「自分」が感謝される。

 

 

それって、誰かのための優しさじゃなくて、「自分」のためなんじゃないか?

 

 

わたしは小さい子供ながらに、

「人に優しくする」「人を思いやる」ということが、2種類に別れることを察知していたんだと思う。

 

あれから30年以上たってから、

何かに打ち込むことや表現すること。人に優しくすることも含め、「愛する」ことは

 

自分のためにある場合と、そうではない場合があることが理解できる。

 

 

 

思いやりを持ったり、優しくすることは素敵なことだし

ある意味では正しいことだと思う。

 

それは愛すると同義語だから。

 

 

 

でももしそれが「自分のため」なのだとしたら、きっとどこかで最後、道が塞がれるような感覚がするときが来るのだと思う。

 

 

 

 

 

昨日スタッフに、仕事の上で

条件つきで愛することと、無条件に愛することの違いを話したら、すぐに「やる気がなくなった」と言われて、これだけ頑張っているのに、それだと下はついてこないと思いますと言われた。

 

わたしは上司として多分失格で、みんながどれだけ頑張ってくれているかとかどれだけ尽くしてくれているかを見落としているんだと思う。

 

でもきっと私も以前、同じような関わり方を仕事や人としてきて、

いつも自分が何かを得るために、愛してきたなとそう思った。

 

 

何に向い、努力をしたり、目的を果たすために自分を投じることは何かを達成するのに素晴らしいことで、それには愛を使う。

 

ひとに優しくすることも、思いやることも同じだと思う。

 

 

 

でもそれを、自分のためにやるか。

 

それとも、ただ愛するか。

 

 

 

この決定的な違いのことを、

わたしの先生はあの日、窓際で猫背を丸めて嫌な感じで自分の話を続けたわたしに

ただそう伝えたのだろうと思う。

 

 

 

 

ただ人のために何かをすること。

それは自分を超えているようで、時に自分のエゴを満たすためだ。

 

 

 

奥が深いよね。

 

でも大切なことだと思う。

そこに気づいていくこと。

 

 

 

眠る前にパートナーが電話をくれて、一連の話をしてすっと眠りについた。経営者の彼に、仕事の相談をすることはほとんどこれまでなくきたけれど、いつも何かを話す度に、素敵な人だなとそう思う。

 

 

 

 

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