ひとりごと 癒し/スピリチュアル まめちしき

自分を正当化するよりもすてきな方法のこと

思うに、どうしても口を開くたくないときか、なにか言わずにはいられないときのどちらかのときというのは、

自分が正しい、と正当化したいときだよなァって。

 

それが許せない理由は、いつも1個なのです

の中に、かいたけど、

 

自分が正しい、と必死になるときは

ただ、自分が信じていることを守りたいとき。

 

逆にいえば、相手が合ってることを認めたら、自分が消えてなくなるか、ガタガタに崩れてしまう

危機を感じるときみたいな。

 

いつもそこに回帰するのは手抜きのような気もするけど、一応、

「傷ついて」るとき。

 

わたしは、いつも、そういうときは何か言わずにはいられないような気がしたけど、頑として口を開きたくなくなるようなときも、あったような気がする。

 

できれば、なにかを記録するときに、自分を正当化するために外に向けて書くことは、やめようと思っていて、

そうなると、何が起こるかというと、ただの記録になる。

 

私情と感情が入らない書き方は、言うなれば、

わたしはこう失敗して、こんな落ち度があったなァ。

あいてはこう失敗して、こんな落ち度があったなァ。

 

と、並列に感じられること。

それは多分、許すことができてないと、難しいことだとは思う。

 

どうして、感情の解放のことや、癒しのことや、自分の感じていることに責任を取られる、という部分を

こんなにも自分が大切にするのか?

さっさと自分が癒されたなら、同じように癒されてるひとと、平和な日々を送ればいい

というのはすごくシンプルに幸せになる方法だとおもうのに、

それだけでは飽き足らず、(人類の大半のひと)感情的なつまりが原因で、愛を受けとることができない人々の、

傷の癒しのことについて、こんなにも悩み苦しむのは。

 

 

それはやっぱり、なんか理由はシンプルな感じがするんだよ。

なにかを取り戻したいとか、自分の目標達成のためとか、変な正義のためとかそういうことじゃなくて。

平和な世界が、ひとりひとりの心が作っていくことを

争いや、傷つけ合うことや、苦しさを与え合う世界じゃない、

愛で成り立ってる世界

 

そこには、誰も、自分を正当化するような
シチュエーションというのは、ないから

失敗したら、すぐに許すし、許されるし、それよりももっと素敵な、

楽しいことや嬉しいことを一緒に体験するだけの場所。

そういう場所が、

すてきなんだってことをただ、言いたいから。

 

傷ついてると、自分だけならいいけど、傷を撒き散らすんだよね。

愛が、次々と、ひとの手に渡されて、自分のなかにある愛が、ひとびとを愛で満たしていくように。

傷もまた、ひとの中にある傷をさらに深く傷つけて、それは連鎖して広がるものなの。

 

だから、自分だけ黙っていれば、それでいいとか

自分だけ正しさが守られれば、それでいいとか思わないで

 

ひとりでも、何かを正当化するために生きるんじゃない

自分も相手も誰も悪くない、安心できる世界に

ゆっくりと移行できたら、と。

 

ひとつ、何かが癒されるときというのは、

それもまた、自分のことだけじゃなくて、関わったすべてのひとを、同時に癒すということだから。

 

広げ連鎖し、外に繋げていくのは、どうせなら

傷よりも優しいなにかがすてき。

 

 

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2 Comments

  • Reply
    SEIKO
    2019年7月15日 at 14:38

    ひとつだけ。
    何かの記事で、底上げをしていきたい、みたいなことを書かれてたと思いますが、それがずっと頭に残ってます。
    生きとし生けるものがやすらかでいられますように、だったかな?その感じも、あたしもそう思うのです。
    ハチドリのひとしずくかもしれなくても。
    他、この記事で痛い思いをしたのですが、そのことはまた別の場所で、書けるようなら書きます。

    • Reply
      Mai
      2019年7月15日 at 18:11

      SEIKOさんコメントありがとうございます。
      わたしは、ずっと、そう信じています。ひとりひとりの感情は、とても小さいかもしれないけど、それはすべてにつながっているから。
      またコメントお待ちしてます☺️

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