ひとりごと 松永について

幸せになってほしいというエゴ

 

 

”わたしはこんなエゴとともに、仕事をしている。”

2016年8月27日分再投稿です〜

 

数日前の、「わたしを突き動かすもの 1/2」

と重複する部分がありますが、感情の解放の初期の段階の、一番思考が抵抗をする

うんこのときはですね、みなさん同じ反応が出るのですよ。

一番きつい場所なのです。

 

それさえ越えればあと楽になります。

 

 

 

 

わたしがどれほど自分の勝手で
相手の幸せを祈りつつも

最後は結局、そのひとがどうしていくかを決めることしか
ありえないことを

私は知っている。

 

 

 


他人軸 ”航海”

 

思考との戦い。

今日のセッションで5回目にして、
まだ船の上に上がるかどうか

水面でもがきながら

 

「そう言われたってわかってる」
「そんなこと言ったって悩むのが人間だ」

 

どっちにも行けずに
手を引くことも突き落とすこともできずに
セッションは続いた。

 

 

2週目に時間をかけて感情を解放してから
環境の変化で大波に飲み込まれ続ける時間は続く。

 

どこまで自分がサポートできるか、
それはわたしがただ、最善を尽くすことしかできない。

 

 

わたしは自分の無力さを感じながらも
なんとか目を覚ましてもらえるまで
暴れる思考のその奥にある、
魂に声が届くまで

必死になって伝えようとした。

 

わたしが本気で立ち向かい
絶対にひるむことなく厳しい言葉をかければかけるほど、

思考は抵抗する。

 

絶対に屈しまいとして、混乱しながらかき乱してくる。

「船上に上がるかどうか決める」のは私ではない。

 

手を引くことはできても、どうしてもそこは、「決めて」もらわないことには

わたしにできることはないのだ。

 

無力さを感じた。
それでも、最善を尽くすことしかできない。

 

セッションに、成功と失敗はそもそも存在はしないのだけど、
やはり

ひとびとが癒され、洗われしっかりと
大切なことに気づいて笑って帰っていくのを

わたしは生きがいにしていて

思うように進まないときは
ぐっと待ち、堪える必要が出てくる。

 

しんどいのは本人たちだけど、こちらにも
かなり負荷がかかる抵抗が出る段階。

 

 


Mさん40代後半、しばらくのテーマは、

「自分の望みを明確にしてそして相手に伝える」

という極々シンプルなことでした。

 

それでも、「自分の望み」もわからない状態で
他人軸で流されて苦しみながらいきている段階において

その「伝える」がエベレストを登るよりも遥かに困難なことは
よくわかっているのですね。

 

そういうときは、

「伝えた」つもりになっていても、
相手には、一切伝わらないような言い方になっていることは多いのです。

 

「伝える」がどんなことを指すのかを
嚙み砕き何度もなんども繰り返して説明しますが

そこばかりは「耳に入れる準備」が整わない限り

自分の発している言葉にも責任は持てず、
本人の中では、相手と自分の間にどんなやりとりが実際は
行われているのかの真実は見えてこず、最終的には「わかってくれない相手が悪い」

という結論に達してしまうのです。

 

セラピストとして嫌気がさしたわけでもなかったり、
自分が感情的になって怒ったわけでもなんでもなかったけれど、

 

とにかく激しい抵抗と強い思考に
こちらの言葉も強くなっているのを感じました。

 

押しても、引いてもダメなのが「思考」の特徴なのですね

 

手を離し、

「そのままどっちにも行けずに文句ばかり言い続けたいなら、
その人生をそのまま生きることは悪いわけじゃないので。」

というと、

 

「それは嫌」

「でも、自分でひとつの道を選択して、
どちらに進むか決めるのも嫌なんですよね。」

 

同じ会話は繰り返されます。

 

自分を守るために、自分を取り戻すために、
自分の望む生き方を叶えるために

「どちらに行くかを決める」

「相手に伝える」という実にシンプルなこと。

これは、自分で自分の責任をとる。という概念。

100パーセントまでそれを自分に戻すのです。

 

 

それができないとき、

相手に決定権を委ね切ってしまう依存的な態度や
それで結局は思うようにいかないことへの不満と文句

どれも全て繋がっていきます。

 

 

その硬い鎖を断ち切るために必要なこと

それは、

まず

「自分はこうしたい」ということを
天に向かって意思表明しなくてはいけないのです。

ごまかして、気にしてないフリをしても、怒りや感情はどんどんつもり積もって
別の形で悪さをします。怪我をしたり、病気になったり、無気力になったり。

 

相手が理解してくれるまで、わかってくれるまで
伝える努力をせずに、最初から関係自体を断ち切ってしまうのは
ほかのどんなことよりも、
実は楽な方法なので、ほとんどどうしていいかわからなくなると人はシャットダウンしてしまいます。

 

だから他人軸で生きているひとびとは、同じ過ちを繰り返しながら
ずっと同じループの中を延々と回り続けるのです。

 

 

 

セッションの時間が少し余って次回に繰り越したりすることは
安定している時期、本当にまれにあるのですが

今日のものは違いました。

 

スタートから20分。暴れる思考はついに混乱をきたし、

出口の見えない問答にシャッターは突然降りた。

 

「今日はダメです、終わります」

と強制終了。

 

 

ある程度ヒートアップしても
なんとかギリギリ戻ってくることはあったのですが、

今日はどうにもいかなくなったのがわかりました。

 

 

切れた瞬間、他に別の道筋で提示することはできなかったか
自分の発言、やりとり全てを洗いざらい見直しました。

 

 

「最善を尽くす」

セラピストのわたしにできることは、それしかないのです。

 

わたしたちは神でも女神でもなんでもなければ、

ただのサポート役で、誰よりも縁の下の力持ちであり
太陽における月であり目に見えない脇役だから。

 

できることなど、本当に少なくて、

相手の苦しさが、痛いほどに伝わった時間でした。

 

肩と首が一気に重くなり、一通り浄化を施して
すぐ次に待っていたセッションに備えました。

 

 

「また再開したいときにいつでも」

「続けるのがしんどいときは、無理はしなくていいので。」

とだけ伝えて、
ただ、祈りました。

 

 

わたしがどれほど
相手の幸せを真剣に祈えども、
最後は結局、

そのひとがどうしていくかを決めることしか
ありえないことを
私はどこまでも、知っています。

 

その上で、わたしは、今のところ

この仕事をしているのですね。

 

 

二件目が終わり、笑顔を見て見送り、
静かに食事をして、三件目を終えて、

 

人々がどんどん楽になっていく姿を
変化し、幸せを感じていく姿を確認し

一件目について

 

もう二度と、セッションを受けたくないと
そう思っただろうかと
想像しながら

深呼吸しました。

 

 

そして間も無く、

「思っていることを上のひとにいま、伝えるために電話しました」
「やりたくない仕事のこと、望む形だけにしてほしいこと、
それができなかったらやめますといいました。」

 

と連絡が入りました。

 

「思っていることを伝える」

 

それは、例えば仕事やら何かの条件が

自分の望み通りじゃなかったときに

「考えさせてほしい」と卑屈な態度をとることではありません。

 

 

具体的にどんなところがどんな風に負担になっているから
どんな風に変えてほしいのか

を勇気を出して、
相手に明確に差し出すという、それだけのこと。

 

 

それが最初のうち、どれほど難しいことを
わたしはよく知ったうえで

それができない限りは
一生「他人に振り回されて生きる」のだということを
懇々と説明しなければいけませんでした。

 

 

ぐっとこみあげるものがあって
ひとつ、Mさんが前進したことを感じて、

途中で遮断されたシャッターがもう一度上がったことを確認しました。

 

 

「きょうは、すみませんでした。ごめんなさい」

と書いてあって
胸を打たれる。

 

 

 

どれだけ遠回りしてもいいし、
どれだけ時間がかかってもいいし

どれだけ同じことを愚痴ってもいい。

それでもいいから、
進んでいく。

 

 

そのためにわたしはここにいる。

 

 

 

 

全てのいきとしいけるものに
幸せになってほしい、と心のそこから思いながら

わたしはこの仕事をしています。

 

 

 

 

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