ひとりごと 松永について

わたしのままごと。

いつか見当もつかないいつか、わたしが盛大に失敗をした時、おそらく大事な大事な愛していた人を守れなかったとか、大事な大事な人を助けられる状況で助けられなかったとか、そういう出来事があったんだろうと思う。

一度は、昔側近で愛してくれていた男の人をとても残酷な形で死なせてしまったことはあるみたいなんだけども、それにしても仕事としてのセラピストの癒しを越えたレベルで、それは常に起こり続けてきた。

癒されている今、それについて罪の意識を感じたり、自責の念から誰かを助けようとすることはもうないけれど、ただ、それは毎回わたしの目の前でありとあらゆる表情を見せながら、さまざまな角度からの癒しについて徹底して考えさせれるようになっている気がする。

これから先、そこで苦しむのはもうやめにしようと決めたこの春。

ただ思い出したことがあって、わたしが救いたかった人たちの共通点があって、それは他の誰にも触らせられぬくらいにそれが繊細であったり、ピュアであったり、だからが故に深く傷ついてしまったような、そういうものに対してキャッチする力が私には以上に発達しているということだ。

ひとはたくさんの出来事で誰でも傷つくし、それを癒す術を学びながら生きることは普通のこと。

ただなんていうか、どうしても普通では理解できないような感覚で生きながら、もがき答えを探し続ける人のことを、そのまま掬い上げてケアをする

というようなことを求められているというか、それがそのまま私自身の学びというか、直接自分のカルマの昇華に繋がっているのではないかな?

と思う今日この頃。

 

 

あまりに感受性が強く生きづらい人は、
世界は誰も自分のことを理解してはくれないだろうと思う。

それをもし、たった一人でもいいからここに、わかる人間がいるとしたら、結構良い希望になる。

それでよい。

繊細で脆く、とても儚げでそして一見実に華やかに見えたりする世界の、小さなひずみの補修を、

今日もどこかで。

 

 

 

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